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【季節柄Niceだと思う画像を貼ろう♪夏編】

季節柄Niceだと思う画像を貼ろう♪夏編

同様、貼ってこう

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P905i
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長月美優

MIDIという音楽の規格があることは知っているが、それがなんなのかは、全く知らん。シーケンサーも同様。


邪魔だったら消してくれ
編集パスは半角で「0000」に設定してあるから

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Mozilla
投稿治安部広報課



というか、これこそまさに、
掲示板活用法第二十五条一項三号に基づいた転用だよね!いや、完全移行ってわけじゃないから、違うか

これも編集パスは「0000」

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Mozilla
a

1990年代中頃からのインターネットブームではPC/Macintoshの双方でMIDIデータの再生が標準で可能になったこともあり、WWWブラウザ上でMIDIデータを再生することが可能となった。これにより埋め込み用のMIDIデータも配布されるようになった。

生活の中に溶け込むミュージックシーケンサー [編集]

MIDI規格の制定により演奏情報が規格化されたことにより、生活の中に様々な形で自動演奏が取り入れられることとなった。

マルチティンバー音源の登場とNTTの端末自由化によりユーザー側でモデムの設置が可能になったことをうけて、楽曲データを電話回線を通じてその都度サーバからダウンロードすることにより提供する通信カラオケが実用化された。通信カラオケ機器の内部にはMIDIデータを再生するシーケンサーと音源が搭載されており、カラオケの伴奏はテープ、レーザーディスクなどの記録媒体での再生から自動演奏へと移行した。

更に音源LSIが小型化、省電力化されることで携帯電話にもMIDIデータを再生できる機能が搭載されるようになり、いわゆる着メロが実用化された。これにより消費者は着メロサイトからダウンロードした曲データを着信時のベルのかわりに用いることが可能になった。

以上の例はいずれも再生専用シーケンサーであるが、一般の消費者はこれらを自動演奏とは意識せずに利用している。これらの市場の広がりにより、MIDIデータの制作が職業として成り立つこととなった。


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aria

音源内蔵シーケンサーの登場 [編集]

1988年にヤマハから発売されたTQ5が元祖だと言えよう。B200/YS200/YS100 の音源部とシーケンサーをユニット化したもので、ディスプレイで時間がわかるユニークな時計機能も搭載していた。この時期はまだFM音源が主流であり、TQ5もFM音源を搭載していた。また、コルグから発売されたPCM音源のモジュール、M1Rもシーケンサーを内蔵していた。これらは音源とシーケンサーが一体化されたものではあるが、あくまで「シーケンサーが付属した音源モジュール」であり、後のヤマハ・QYシリーズとは音源、シーケンサーの主従が逆になっている。コルグはM1Rに続き01R/WやX3Rとシーケンサー内蔵の音源モジュールを発売するが、内蔵シーケンサーの需要が少なかったためから、その後の音源モジュール版TR-Rack以降は内蔵シーケンサーを省略した。

1990年にヤマハから発売されたQY10は初めて音源内蔵シーケンサーという形を取った。開発コンセプトが「スキーバスの中に持ち込んで手軽に作曲が楽しめるもの」という、いわば当時のスキーブームを意識したものであり、VHSビデオテープサイズに音源とシーケンサーだけでなく鍵盤が用意され、その鍵盤で内蔵音源を発音させることが可能で、QY10は場所を問わず利用可能なため、大ヒットとなった。これはちょうどその頃から一般的になっていたミュージックワークステーションを凝縮したものと考えられる。この後ヤマハはQY20、QY22と改良版をリリースしていくこととなる。


QYシリーズのリリース後も、デスクトップタイプのシーケンサーはQY以前のQXシリーズ、QX3がラインアップされていた。この後継機種として発売されたのがQY300であった。フロッピーディスクドライブ、ジョグ/シャトルダイアルやテンキーを装備し、ハンディタイプのQYシリーズとデスクトップのQXシリーズを併せ持った機種であり、この後改良版としてQY700がリリースされることとなる。

このヤマハのQYシリーズに対抗して、ローランドが90年代半ばにPMA-5という電子手帳サイズの音源内蔵シーケンサーを発売した。SC-55mkII相当のGS音源を搭載し、SCシリーズ愛好者に迎えられたが、タッチペンを使った入力というのが、QYシリーズの鍵盤キーに比べて扱いづらかったようで、この機種の後継機種は発売されず、生産終了となってしまった。

このPMA-5はTO-HOST端子を持ち、SCシリーズのような音源モジュールとしての利用も可能であり、パーソナル・コンピューターのシーケンサーソフトとデータのやりとり可能ということが魅力的な製品であった。当時のヤマハの音源内蔵シーケンサーQY22はGMのみ対応でTO-HOST端子がついていなかったが、それが搭載された新機種が1997年発売のQY70であった。QY70はDTM愛好者だけでなく、以前のQYシリーズ愛好者であるギタリストやベーシストにも愛用され、2004年にディスコンになるまでロングセラーとなった。これにスマートメディアスロットを搭載するなどモデルチェンジを行ったのが現在のQY100である。

パーソナルコンピュータでの再生環境の標準化 [編集]

1990年代に入りAppleはQuickTimeを発表。バージョンアップの過程でGM互換のソフトウェアMIDI音源を組み込み、ムービープレーヤでMIDIデータを再生できるようにした。元からMacintoshではオーディオ入出力を標準で備えていたこともあり、音源チップを搭載した拡張カードを用いなくても楽音の再生が可能であったため、CPUの能力がQuickTimeの仕様を満たしていればどの機種でも簡易ながらMIDIデータの再生が可能となった。

このソフトウェア音源をコンピュータ内部でシーケンサからルーティングして制作用の音源とすることにより、ノートパソコンに外付け機器無しでも楽曲のMIDIデータ作成が可能となり、ミュージシャンがノートパソコンを持ち歩いて移動中の列車やツアーの宿泊先で作編曲のツールとして場所を問わずに作業が可能になった。

対して当時PC互換機は音声入出力を標準では装備せず、サウンドブラスターなどの拡張カードを用いる必要があった。サウンドブラスターにはヤマハのFM音源チップが搭載されており、もっぱらゲームの効果音/BGM用として用いられていたが、Appleの動向に遅れること数年、DirectXの制定と本体にAudio Codec 97を標準搭載する仕様を義務づけることでPC互換機でも本体のみでMIDIデータの再生が標準で可能となった。



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シーケンサー


ハードシーケンサーの盛衰とMIDIシーケンスソフトの台頭

1982年にMIDIが正式に規格化されると各社からさまざまなMIDI音源が登場し、MIDIシーケンサーによって異なるメーカーの複数の音源を同期して自動演奏することが可能になった。ハードウェアのシーケンサーではヤマハのQXシリーズやローランドのMC-500シリーズなどのMIDIシーケンサーが登場した。

本格的なMIDIシーケンスソフトは1980年代半ばに誕生した。Macintosh用のPerformer梶AVision汲フ2大シーケンサー戟APC-9800シリーズ用のRCP-PC98(レコンポーザ)などが、プロユースで使われ始める。大画面とグラフィカルなユーザーインターフェースによる視認性のよさ、高い分解能と豊富な編集機能、機能的な制約が少なく膨大なデータ量を扱えることがソフトの利点である。

ただ当時はパソコンを使うという行為そのもののハードルが高く、その中でも扱い易いといわれたMacintoshは音楽用に必要な高性能システムを組むと100万円を超える高価さだったため、個人市場においては価格や操作性、可搬性の面からハードシーケンサーが普及を見せた。また1988年5月には音源、鍵盤、シーケンサー、エフェクターを一台に統合したミュージックワークステーションの元祖コルグ・Mシリーズが発売され、それ一台で音楽制作を完結することが可能になった。

その一方で一般層高ノはまだMIDIという言葉自体があまり浸透しておらず、パソコンユーザーの間で「パソコンで音楽を楽しむ」といえば、もっぱら好きなゲーム音楽を耳コピーして内蔵されたFM音源とプログラミング言語獅駆使して演奏する、というのがスタンダードだった。

そんな中、一般にコンピューター音楽を広める火付け役となったのが1988年にローランドから発売された「ミュージくん」である。これはMIDI音源ユニットのMT-32とPC-98用音楽作成ソフトのセット品で、価格も98000円とリーズナブルなもので、当時すでにMSX向けのシーケンスソフトを発売していたヤマハもこれに追従することとなる。また1990年前後のバンドブームが個人向けの楽器市場を拡大し、これらの製品は音楽制作の入門用システムとして市場で一定の地位を占めるようになった。さらに異なる音源間での音色配列などを定めたGM規格が1991年に制定されたのをきっかけに安価なGM音源が数多く登場し、いわゆるデスクトップミュージック (DTM) の隆盛につながった。

1990年代以降低価格のMacintoshの登場、Windows95登場以降のパソコンの普及でパソコンを使うという行為そのもののハードルが下がり、ソフトウェアシーケンサーは急速に普及し始めた。ソフトシーケンサーには先述した視認性のよさなどの利点があり、従来のハードシーケンサーにあった「機械の操作」の感覚を薄めたことも大きい。またDTMの普及によってコンピューター音楽のユーザーの裾野が広がっていたことも、ソフトシーケンサーの普及に大きな役割を果たした。



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aria

デジタルシーケンサーには大きく分けて2種類の入力方法があった。一つはシンセサイザーの鍵盤からCV/GATE信号をもらってシーケンサー内部でA/D変換してメモリーに記録し、再生時には読み出してD/A変換してCV/GATE信号を出力する物。ローランドのCSQシリーズなどがこれにあたる。もう1種類はMC-8やMC-4のようにシーケンサー本体に搭載されたテンキーによる数値入力である。これは数値情報を直接メモリーに記録し、再生時にD/A変換された。

デジタルシーケンサーの最初の製品は1974年にオーバーハイム・エレクトロニクスの設立者であるトム・オーバーハイムによって世に送り出されたDS-2である。アナログシンセサイザーとCV/GATEにより接続し、72イベントの記憶容量を持つモデルであった。このシーケンサーがクレジットされた作品は1974年発売のジェリー・グッドマン&ヤン・ハマーによる「Like Children」があげられる。

そして1977年にローランドのマイクロコンポーザーMC-8が本格的なコンピュータ制御によるシーケンサーとして登場した。ゲートタイムやとステップタイムという概念が生まれたのもこのMC-8からといわれる。当時大卒の初任給が10万程度の時代にMC-8は販売価格120万円という極めて高価な代物であったが、この誕生によって音楽界は爆発的にデジタル化が進むこととなった。

MC-8の仕様は以下の点で画期的であった。
標準搭載のメモリー容量で5400音というアナログシーケンサーでは実現不可能な大記憶容量を実現した。
8系統のCV/GATE出力を持ち、独立したパートの演奏が可能になった。
外部にデータレコーダを接続することでデータを記録、保存できるようになったこと。これにより演奏情報のライブラリ化が可能になった。
テープレコーダーに同期信号を記録することで、テープレコーダーとの同期演奏が可能になった。ただし曲中からの同期はMIDIの登場を待つ必要があった。
正確なテンポコントロールが可能になり、例えばCMなどのように15秒、30秒といった長さが決まっている作品の制作効率が劇的に向上した。

日本ではイエロー・マジック・オーケストラのサポートメンバー松武秀樹がシンセサイザーモーグIII-Cと共に使用したことでも知られるが、デリケートな装置でライブ中に熱暴走することもしばしばだった、というエピソードも残っている堰B

同時期にポリフォニックシンセサイザーの発音制御にCPUが用いられるようになった事を受け、外部に対してデジタル信号の形での演奏情報のやりとりが模索されるようになる。ローランドはDCB規格を制定し、MIDI規格が登場するまでの短期間これを利用した。

MIDIの登場 [編集]

1982年にMIDIが規格化されることによって、自動演奏は大幅な変革を遂げることとなった。
演奏情報の拡張 ベロシティやピッチベンドの情報が定義され、より楽器のニュアンスが表現しやすくなった。 演奏情報に加えて音源の制御情報の定義。 音源の音色情報を演奏データと同じ次元で管理することが可能になった。 チャンネルの概念 MIDI端子の1出力あたり16チャンネルの独立したパートを割り当てて伝送可能になった。これにより異なるパートの演奏情報が一本のMIDIケーブルで音源に対して伝送可能となった。 自動演奏に関する情報の定義(ソングポジションポインター、クロック情報など) DINSyncでは曲中からの途中再生は不可能であったが、ソングポジションポインターを利用することで曲の途中からの再生がシーケンサー同士あるいはシーケンサー対リズムマシン、シーケンサー対マルチトラックレコーダー間で可能になった。初期においてはローランドのSBX-80がSMPTEタイムコード (LTC) をテンポ情報を含むソングポジションポインターの変換機として用いられたが、後にMidiTimePeaceなどのMIDIインターフェース側でタイムコード入出力を持つようになり、スタジオにおける作業効率が格段に進化した。後にMIDI規格の一部としてMIDIタイムコード (MTC) が制定される。
そして半導体技術の進化により処理速度の向上と高性能なカスタムICが相応の価格で制作できるようになると、ついに1台の音源で複数のパートを演奏可能なマルチティンバー音源が登場する。これによってデスクトップ上で各パートを再現できるようになり、自動演奏が現代音楽の一分野から音楽制作の日常的なツールへと変貌を遂げることになる。


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シーケンサー

音楽の自動演奏は14世紀に教会などでカリヨンが使われて以来、演奏情報を符号として記録して再生しようという発想は古くから存在した。

オルゴールの発明は18世紀末であるが、本物の楽器の自動演奏装置と呼べるものに1890年代に作られた自動ピアノが挙げられる。これはピアニストの演奏による鍵盤の動きを、鍵盤機構に穿孔装置を組み込むことでピアノロールと呼ばれる長いロール紙に記録し、逆にロール紙の孔によって鍵盤を動かすことの出来る仕掛けで「再生」することで鍵盤の細やかなタッチまで再現することができた。このように楽器の動作を記録再生する機構を電子楽器を制御する電子情報として取り扱うのが、今日のデジタルミュージックシーケンサーといえる。

実際にピアノロールは演奏用データへの変換も不可能ではなく、ラフマニノフが演奏したピアノロールを特殊な光学スキャナーにかけMIDIデータに変換し、ベーゼンドルファー製自動ピアノで演奏 - 録音 - CD化された例もある。

アナログシーケンサー [編集]

1960年代にアメリカのロバート・モーグによってミュージックシンセサイザーが電圧制御を基本とするモジュールとしてシステム化され、そのモジュールの一つとしてアナログシーケンサーが登場した。以降、モジュラー型シンセサイザーのオプションとして各社から発売された。

アナログシーケンサーはステップ状の電圧発生器である。パネル面に並んだボリューム(1列当たり8 - 16個)によってVCOに与えるCV(音程制御用の電圧)をあらかじめ設定し、任意のステップ数を一定のリズムで走査することでボリュームで設定したCVと発音タイミングのゲート信号を出力させた。これにより反復されるアルペッジョのパターンであったりリズムパターンであったりといったフレーズを反復自動演奏させる事が可能となった。

大体のアナログシーケンサーはプリセット列として2 - 3列を備えており、演奏中に切り替えることで異なるパターンを演奏できた。またステップ数を演奏中に切り替えることでフレーズにバリエーションを持たせることもできる。移調はVCOに対して鍵盤からのCVを加算するなどの方法でおこなう。

アナログシーケンサーの出力は規格化された制御電圧であるため、音程の制御以外にもたとえばVCFによる音色変化であるとか、VCOでは発生できない超低周波の波形発生などにも応用された。

一部の可搬型シンセサイザーにもアナログシーケンサーが組み込まれるようになったが、コストの面から一般的にはならなかった。

デジタルシーケンサー [編集]

半導体技術の進歩により、演奏情報を符号化して半導体メモリーに記録、再生する装置が考案された。これがデジタルシーケンサーである。演奏情報を符号化することにより数値入力が可能になった。



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ポリフォニック楽器の分野では、当初はトーンホイール方式 や ピックアップ方式が有力で、特に倍音加算合成をトーンホイールで実現したハモンド・オルガン (1934)は一大勢力となり、この分野で40年以上勢力を維持した。電子楽器では「分周回路」と「フィルターによる減算合成」を組合せた新しい楽器が登場し (ノヴァコード (1937))、これ以降多くの電子オルガンが同方式をベースとした倍音加算合成を提供した。ただし当時のオルガンの多くが採用した全鍵発音方式は、当時の実装技術では規模が巨大化しがちなため、個々の音響合成回路はごくシンプルに抑えられ、音色表現能力は限定された。
そこで高度な表現力を要するリード演奏専用に、単音で小型の電子鍵盤楽器 (Solovox(1940)他) が登場した。これは オルガンやピアノの鍵盤近くに設置して合奏する小型楽器で、その演奏スタイルは後に、電子オルガンのソロ鍵盤や、電子オルガン上に置くプリセット・シンセに発展した。

このほか同時期、1939年ニューヨーク・ワールドフェアでヴォコーダ(1928年通信用途で実験開始)や鍵盤演奏型のスピーチシンセサイザー(Voder)が一般公開された 。しかし同年勃発した第二次世界大戦により各国は戦時体制へ移行し、ヴォコーダは軍の暗号通信装置(SIGSALY)に利用され、アメリカの電子楽器開発者は爆撃誘導装置やレーダーの開発に駆り出され、ドイツの電子楽器研究拠点ハインリッヒ・ヘルツ研究所では、職場のユダヤ人排斥に反対した教授が職を追われ、そうして世界の電子楽器開発は停止した。
1945年に戦争が終わると、ドイツの電子音楽スタジオが即座に活動を再開し、またドイツで実用化されたテープレコーダを使って音を切り貼りするミュージック・コンクレートがフランスに登場し、現代音楽という新しいキーワードの元、電子楽器が息吹を吹き返した。

1950年前後、軍事技術だったコンピュータが世界に広がると共に、コンピュータ音楽が登場した。当初は曲の自動演奏が試みられ、次に高い計算能力を生かして確率的作曲や音響合成に応用された。1957年マックス・マシューズのMUSICプログラムは、ディジタル音源とソフトウェア音源の元祖と認識されており、後にその上でFM合成を含む多くの研究開発がなされた。同じ1957年には「シンセサイザー」という名を初めて使ったコンピュータ用音源「RCAマークIIサウンドシンセサイザー」も登場している。その基本構成は現在のアナログ・シンセサイザーとほとんど同じで、出力される音は初期のアナログDTM音源のクオリティに到達していた。

1952-1958年、音楽家レイモンド・スコットが開発した「クラヴィヴォックス」は、鍵盤の他にR.A.Moog社のテルミンを流用したコントローラを装備し、後には電圧制御式シーケンサも追加された。後にモーグは、クラヴィヴォックスの回路や音が 60年代のモーグ・シンセサイザーとよく似ていたと語っている。

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aria


シンセサイザーの発明は、短い解説によく見られる「ある時 誰かが 世界で初めて何かを発明し、その成果が後に世界中に広がった」といったタイプの単純な出来事ではない。100年以上にわたる電子楽器の歴史の中で、多くの人々が試行錯誤を繰り返し、時としてほぼ同じものがあちこちで再発明されながら、技術の蓄積と概念の洗練が進み、途中、戦争による停滞や技術者の世代交代を挟んで、1960年代以降マイクロ・エレクトロニクスと共に急速な発展を遂げて、現在の形になった。

出発点は19世紀末に遡る。最初に登場したのは発電機や電話を応用したシステムで (Music Telegraph(1876))、次に有線音楽配信を狙った巨大システムが構築された (テルハーモニウム(1897)、重量200トン)。20世紀初頭、真空管が発明されラジオやトーキーの実用化研究が本格化すると、ラジオ技術 を応用した楽器 (テルミン(1917-1919))や、トーキー技術 を応用したサンプラーの祖先(Optophonic piano (1916-1924)) が登場した。遅くとも1920年代初頭には楽器用低周波オシレータが登場し、それをリボンコントローラや鍵盤で演奏する電子楽器が登場した (トラウトニウム(1929)、オンドマルトノ(第2世代, 1928))。これらの楽器は後の改良の結果、現在ではシンセの祖先と見なされているが、登場当時は非常にシンプルでシンセサイザーと呼べる物ではなかった。

1930年代にはシンセサイザーの基本要素が出揃い (フィルタ/エンベロープ/加算合成/ポリフォニック)、初期のシンセサイザー時代が開幕した (ノヴァコード(1937))。ただし当時のフィルターは、パッシヴ回路が主流でその効果は緩やかなため (6dB/oct.)、1970年代アナログ・シンセのように強力な音作りの手段にはならず、むしろ他の合成方式や発音方式 、(倍音加算合成や副倍音加算合成、生楽器の発音機構を使う電気楽器等) の音色調整として補助的に使われる事が多かった。この時期に登場した、ミニモーグのような機能と外観を持つ楽器(コンサート・トラウトニウム(1936)、ミクスチュア・トラウトニウム(1952))もその一例である。



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Mozilla
アリア

消せないサイトは暇潰しの雑談も有りにしちゃおう(´Д`)


一応、画像貼る

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P906i
取り舵イッパイイッパイ

水着

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SH704i
G戦嬢のアリア

あらま

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P906i
G戦嬢のアリア

また夏が来るのか…

まだ早いか…

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P906i
白骨化

夏まであと少し

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虹の住人

外は寒いが、ファイルの中は暖かいぜフ

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N901iS

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